デス・オーバチュア
第62話「悪魔の王」




残酷なまでに無慈悲な神よ。
私はお前を永遠に許さない。
私の愛するものを奪った貴様を。
いつの日か天へと舞い戻り、貴様を、貴様の創った世界を、貴様の創った全ての物を我が憎しみの業火で灼き尽くしてやろう。
兄弟達の返り血で赤く染まったこの翼にかけて……必ず……。



「……誰だ?」
微睡みから目覚めた女は、誰も居ない空間に声をかけた。
「……私が見えるのか?」
やはり誰も居ない空間から声が答える。
いや、その声すら、常人には聞き取れないであろう音域のものだった。
だが、女にはその声がしっかりと聞こえたし、目をこらすと、『視えない』はずの姿まで段々と見えてくる。
「……ん?……ああっ、貴様か。なぜ、こんな所にそんな姿で居る?」
女は今や完全に姿を現した黒髪黒目の黒い法衣の少女に話しかけた。
「……私を知っているのか? 私はお前を知らない……はずだぞ?」
黒い法衣の少女……タナトスは少し悩んだ後、自信なさげに言う。
「ん? そういえば直接の接触はまだなかったか? 何度も覗かせてもらったので、もうとっくに会った気になっていた……すまぬな」
女はあっさりと謝罪の言葉を口にした。
「……いや、別に構わないが……私の方こそ、勝手にあなたの部屋に入ってすまなかった」
「別に気にしなくて良い。幽霊のような存在に、部屋にはノックしてから入れも何もあるまい。不法侵入に拘るのならこの部屋以前に、この城……この街、いや、この世界そのものの段階で問題になる」
「そうか?……そうだ、聞いていいか?」
「ここがどこで? 私が何者で? なぜ、自分を知っているか?……だな、聞きたいのは」
「なぜ、解る?」
「ふっ、別にメアリーのように心を読まなくても解るさ……顔に書いてある……無表情なようで、お前は素直だ」
ベッドに半身を倒したまま、女は優美でありながら妖艶な笑みを浮かべる。
「…………」
「最初の質問だけに答えよう。ここは悪魔界の紅蓮魔郷の紅魔殿……つまり、全ての悪魔の頂点に君臨する王の住む城だ」
「悪魔の王の城!?……なるほど、どおりで趣味が悪いわけだ……」
この城の、いや、この世界そのものがあまりに異常なのもそれなら頷けないこともない。
美意識や価値観が根本的に人間とは違うのだろう。
「趣味が悪いとは言ってくれる……まあいい、もう少しこっちに来ぬか」
女は楽しそうに喉を鳴らした後、タナトスを手招きした。
「…………」
タナトスは惹き寄せられるように、無警戒に女に近づいてしまう。
「ふむ……」
タナトスが目の前まで来ると、女は突然、タナトスをガバッと抱きしめた。
「な、何を!?……て、触れるのか?」
「ふむふむ、なるほど……」
女はタナトスの背中に回した両手でタナトスを撫で回す。
「なっ、あっ……何を……よせ……うっく……あ……」
「で、こうすると……」
女は自分の唇をゆっくりと、タナトスの唇に近づけた。
「あ、うっ……」
二人の唇が触れ合おうとした瞬間、タナトスの体中から放たれた黄金の光が、二人を吹き飛ばす形で引き離す。
「……こうなると」
タナトスは壁際まで吹き飛ばされていたが、女は不思議なことにベッドに横になったままだった。
「虫除けにしては強すぎる……独占欲の強い奴だ……まあ、私も他人のことはあまり言えないがな」
「何だ、今のは?……いや、前にも同じようなことがあった気が……」
つい最近にも似たようなことがあったような気もするのだが、そのことを思い出そうとするとどうも頭がスッキリしない。
「なあに、『唾』をつけられているだけだ」
「唾?……唾液だと?」
「『名前』、『目印』と言ってもいい……自分の『物』に手を出すなという警告……いや、『脅迫』と、手を出した者を『処罰』……跡形もなく消し去るための力が貴様の体には刻まれているのだ……誰の仕業かは、心当たりがあるのだろう?」
「…………」
誰の仕業かは考える必要もなかった。
そんなことをする者も、そんなことができる者もタナトスの知る限り唯一人しかいない。
「別に敵意というか攻撃には働かぬらしい……害意……それもお前の肉体か精神を『犯す』意志と行為にしか反応しないようだな……まあ、貞操帯のような物か?」
「貞操……」
タナトスの顔が怒りのためか、それとも羞恥のためか、赤く染まった。
「……わ……私は……」
「ん?」
「……私はお前の物じゃないぞ、ルーファス!」
女はタナトスの様子を見て、堪えきれなかったように笑い出す。
「あはははははっ、まあ、そう怒るな。独占欲とはそのまま愛情の深さだ。もっとも、相手が嫌いな相手なら、愛されても迷惑なだけだがな」
「愛……」
「さて……そろそろ帰った方がいい。いい加減に地上に戻らぬと、主役不在のまま幕が下りてしまうぞ」
「……地上へって……私の事情を?」
「ああ、さっき抱きしめた時、記憶を読ませてもらった。そう警戒するな、あくまで表面的なここ二、三日の出来事だけだ。貴様の口から事情を聞くより、この方が手っ取り早いし、正確だからな……説明する手間が省けて幸運だとでも思え、口下手なタナトス」
「うっ……」
確かに、自分の事情を正確に口で説明できた自信はまったくなかった。
だからといって、他人の記憶を覗くという行為の正当性、プライバシーの侵害とは別の問題な気がするのだが……。
「もう一度、近くに寄れ……心配するな、今度は抱きしめたりしない」
そう言う女の笑顔は一見好意的で優しげに見えた。
タナトスはついまた女の側まで近づいてしまう。
「よし、そのまま動くな」
女の突きだした左手の人差し指がタナトスの額に触れた。
「熱っ!?」
ジュッとした焦げるような音をさせると、女は指を離す。
「微調整してやった。次の転移で間違いなく地上……には帰れる」
「熱っっ……本当か!?」
額を押さえていたタナトスは女の発言に過剰に反応した。
「悪魔の言うことを信じるか、信じないかは、貴様の勝手だ、好きにすると良い」
「ん、悪魔の口約束か……いや、私は信じた! 信じたからな!」
「ほう、悪魔を信じてよいのか?」
女は悪魔に相応しい悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あなた……お前は信じられる気がする。なんとなく……」
「それは、光栄だ。さあ、もう行け、迎えも来た」
「ああ、もう、タナトス、こんな所に居た」
「…………」
女の寝室に、リセットと少女がメアリーに連れられて姿を現したのはその時だった。



「また、気紛れですか?」
メアリーはベッドを共にする女に尋ねた。
奇妙な三人組をあっさりと城から……悪魔界から無傷で帰してから、かなりの時間が流れている。
そう、戯れを一度行うぐらいの時間が……。
「殺さなかったことがか?」
「ええ、私以外であなたの寝室から生きて出られた者を初めて見ました」
「人聞きの悪い……そもそもお前以外にここに近づく者など居ないではないか」
「ええ、悪魔王様の寝込みを襲おうなどという恐れ知らずは紅魔殿には一人も居ませんよ。どちらの意味の襲うでも……」
「ふん、私は別に構わぬのだがな。襲ってくる者でも居た方が退屈が紛れていい」
「また戯れを……」
「ふっふっふっ……」
女はメアリーを腕の中から解放すると、ベッドから立ち上がった。
「……まさか、部屋から出られるのですか?」
「なんだ……悪いのか?」
「いえ、ただ寝室から出られるのは何万年ぶりかな?……と」
「大げさな……千……いや、数百年ぐらいしかまだ経っていないだろう?」
「時間感覚狂いますからね、この世界は……」
「それにここから動く必要がないからな、私の場合……」
「それなのに、今回は自ら動かれると?」
「ああ、久しぶりに本体で運動してみたくなった……お前を抱く以外の運動をな」
女は優美でありながら妖艶な笑みを浮かべる。
「別にいいですけど……本体を汚さないでくださいよ。男なんかに抱かれてきたら、私もう抱かれてあげませんよ」
メアリーはその笑みに惑わされることもなく、冷め切った態度だった。
「解っている……心配しなくても浮気はしない」
「分身では犯りまくってるくせに……」
「人を淫乱みたいに言うな……私も基本的にお前と同じで男は嫌いだ」
「基本的にですか……分身とはいえ、なぜ、あの男となら……」
常にアルカイックスマイルを浮かべていたメアリーが初めて微かに顔を不快げに歪める。
「……何、ただの腐れ縁だ……さて、では行って来るぞ。留守は任せた」
女は寝室のドアに向かってゆっくりと歩き出した。
「……悪魔王」
「なんだ?」
メアリーの声に、女は歩みを止めず、振り返りもせずに応じる。
「服ぐらい着て外に出てください。服を着る習慣も忘れちゃったんですか、この色情狂は?」
「……すまん、ここ数百年、服を着なかったというか、ベッドから出なかったのでな……」
「馬鹿ですか、あなたは? いえ、馬鹿ですね、あなたは」
「…………」
女は、メアリーの前では、悪魔王としての威厳の欠片もなかった。



魔界の北東に、北の魔王にも、東の魔王にも支配されていない僅かな土地がある。
鬼神の谷と呼ばれるその場所には、修羅、夜叉、羅刹と三種類の魔族が、三勢力に分かれて暮らしていた。
『鬼』とも呼ばれる、高位魔族ばかりの集団。
北の魔王も、東の魔王も、力ずくでこの高位魔族達の集団を支配下におこうとはしなかった。
負けはしなくても、下手に手を出せばかなりの痛手を受ける……そう魔王達に思わせるぐらいには鬼達の実力は認められていたのである。
そして、痛手を受ければ、その隙を他の魔王に狙われるから、あるいはただ面倒だからといった理由で、魔王達は鬼達を放置していたのだった。


「行くのか?」
「……ああ、世話になった」
紫の髪と瞳の少年に、同じく紫の髪と瞳をした少女が答える。
「気にするな、いい暇潰しになった。それより、此処に残る気は本当にないのか? 僕達、結構気が合うと思うんだけどな?」
「悪いが、私はもう売約済みだ。身も心もな……」
「それは残念」
少年は言葉とは裏腹に、別にたいして未練もなさそうに言った。
「……だが、何れ礼はする」
「気にするな、貴重な同族のよしみだ。どうしても礼がしたいなら、僕の妃に……」
「ではな、世話になった、羅刹王」
少女は少年の言葉を遮るように、マントを翻し、踵を返す。
「やれやれ、地上に、人間に絶望したら、いつでも帰ってくるといい、ここは君の故郷だからね」
「……私は地上生まれの羅……いや、人間だ」
「それでもだよ。僕達は人間と違って、君が人間の血が混じっているからって差別はしない。僕達の価値観は強さと美しさが全てだからね。君はとても強くて美しいよ、紫苑」
「……私も、お前は強く美しいと思う……だが、私にとってもっとも強く美しい者は唯一人しかいない。私はその存在のために地上に帰る……それに、決着をつけたい相手も地上に残しているのでな」
「そうか、じゃあ、またな、紫苑」
「ああ、また……」
紫苑と呼ばれた少女は、紫色の光に転じると、空へと飛び去った。




















第61話へ        目次へ戻る          第63話へ






一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



簡易感想フォーム

名前:  

e-mail:

感想







SSのトップへ戻る
DEATH・OVERTURE〜死神序曲〜